課題文そのものは掲載できませんが、筆者が展開している論理の骨格は次の4つのステップに整理できます。
- ①「孤立した個人の死」から「われわれの死(死の連帯性)」へ:哲学(ハイデガーなど)では、死を「他者との関係を断ち切った、その人ひとりだけの出来事(個別性の真理)」と捉える見方があります。しかし、家族や友人、深い絆で結ばれた仲間のように、「わたし」と「あなた」が親密に関わる二人称的な「われわれ」の場では、誰かの死は見送る側にとっても集団全体の生命が痛切な変化を受ける出来事となり、全員に分かち合われる「死の連帯性」を帯びます。
- ② 三人称的な「客観的知識」と、生きた実感としての「アクチュアリティ」:自分がいつか死ぬという事実を、単なる客観的な知識(三人称的なリアリティ)として頭で知っているだけでなく、他者との「われわれ」の関係の中で死の連帯性に触れることで、私たちは自分自身の生と死をも「科学ではとらえられない生々しい現実(アクチュアリティ)」として感じ取っています。
- ③ 個体を超えた「生命そのもの」の共有:共生的な「われわれ」の関係の中で分かち合われている生命の現実は、個々の有限な生を超えたつながりであり、そこでは生と死が別々に切り離されたものではなく、表裏一体のものとして姿を現します。
- ④ 下線部(1)の核心(医療における二人称関係):他者との二人称的な関係に立つことで初めて、私たちは自分自身の生と死にも生きた現実として関わることができます。同様に医療の場でも、医師が単に自然科学的・客観主義的な医学を当てはめる執行者として患者に対処するのではなく、人間学的な医療の実践者として患者と個人的・人格的な「二人称関係」に立つとき、初めて生と死は医師にとっても患者にとっても豊かな現実(アクチュアリティ)を示すようになる、と筆者は結論づけています。